この国の土台


ライターである友人が、島次郎農園の紹介分を書いてくれました。

この国の土台5年ぶりに島次郎農園を訪れて感じたこと

先日、島次郎農園にお邪魔した。7月は半ばに差し掛かっていたが、梅雨冷えに晴れ間が重なるという、この時期にしては珍しい心地のよい一日だった。

農園主である豊島亮太と私は、小学生の頃からの馴染である。20代後半、彼が突然「農業をやる」と言い出した時は流石に少し驚いた。しかし昔から突拍子もなく斜め上の物事を平然とやり遂げる男だったので、なんだかんだやってのけるだろうと心配はしていなかった。ただ、地元の茅ヶ崎で旗揚げしたことは意外だった。おそらく多くの人がそうであるように、私ですら「茅ヶ崎は海の街」という印象がとても強いので、農園と聞いてもピンと来なかったのだ。

しかし、元来農業とは人が住む場所には必ず存在するものである。時代は移ろい、日進月歩で文化は変貌を遂げていくが、農業は今も人々に欠かすことはできない。ただし、周知の通り農業に携わる人口は年々減少を続けており、平成27年の統計を見ると、農家人口488万人に対し、就業人口は209万人である。今日本を見渡して、農業で活性し続けている地域を探すことは簡単なことではないだろう。それは茅ヶ崎の農村地区の一角である芹沢にも当てはまる。豊島亮太は、2011年、その場所を新たなスタート地点に定めたのだ。

そう、私がはじめて島次郎農園に訪れたのは5年も前のことだった。開園したての土地は、言うまでもなく実りは乏しかったが、想像以上に奥行があり、空気が澄んでいて、浪漫がみなぎっていた。茅ヶ崎の海側で育った私は、それまで知らなかった地元のみずみずしい姿に、しとやかに心を打たれたことを覚えている。きっと彼も同じだったろう。あの場所からはじまる彼の前途を、羨ましく、誇らしく、思った。

5年。私達は30歳を少し過ぎた。世間は相変わらずの猛スピードで駆け回っているため、むしろその動きが止まった時でもないと正確な変化を認識できないのかもしれないが、島次郎農園は繁盛し始めていた。海辺の朝市では毎週行列が並び、茅ヶ崎の居酒屋やレストランをはじめ、野菜を卸しているいくつかの店舗でも評価はうなぎのぼりだ。また配達販売も行っているため、私の家族などは定期購入させてもらっている(残念ながら私は地元を離れている)。そのため、私も彼の野菜を食す機会は割と多い。旨い。無農薬だから、新鮮だから、理由はいくつもあるだろう。昔の野菜の味がする、野菜本来の甘味がする、色々な好評も聞こえてくる。しかし、ただ、ただ、旨いのだ。

5年ぶりに訪れた島次郎農園は、比べ物にならないほど面積を広げ、実りの多い畑になっていた。彼に畑を譲りたいと思う人が少なくないのだろう。草刈りを手伝った際(初体験である)、お隣の農家の方に「腰で回すんだよ。ちょっと見ててごらん」と指導を受けた。収穫を逃れたスイカにカブトムシが食らいついていた。周囲の水田はしなやかに青い稲を震わせ、トンボやアマガエル、バッタやカマキリは突然の侵入者になすすべもなく慌てふためいていた。豊島家の0歳の娘は、網付きのベビー台車の中で終始ご機嫌だった。当たり前のはずの、忘れかけていた夏の群青色に、遠くから夕陽が迫ろうとしていた。

最後にえだまめの種を植えている時にふいに過った。ささやく草木。緑の艶。土。感触。匂い。この国の土台。種々雑多の命。命を育む源。変わらないもの。受け継がれてきたもの。長い時間をかけて精錬されるもの。そこにのみ根付く美。伝統。大それたことではなく、いつからか足りていなかったもの、求めていたものの正体。

農業は大変だ。ほんの少し手伝っただけで疲れてしまった。そんな大変な日常が日々続いていくのだ。でも、私は5年前の時と同じように、いや、それ以上に誇らしいような気持ちになった。こんな気持ちを、できるだけたくさんの人に味わってもらいたいと思った。農業の、島次郎農園の、野菜を作るということの素晴らしさをぜひ知ってもらいたい。